ガスライティングgaslightingと差別(の社会学)との関係?
今回の記事はメモ的なもの。
「ガスライティングgaslighting」という概念は、日本(日本語圏)ではあまり普及していないと思うけど、ここ最近いくつか目に入るときが出てきた。
【ガスライティング 】
— 大石結花 // Yuka Ohishi 🧈⁷ (@yukaohishi) 2020年6月10日
被害者にわざと誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気を疑うよう仕向ける、心理的虐待の一種。https://t.co/lX0ozmiXTj
例:
被害者に対して、「考えすぎだよ」「オーバーリアクションだよ」「冗談が通じないなぁ」
「言動を強く否定されたり嘲笑されたりする」 「対等なパートナーとして扱われない」などの兆候から対処法、第三者の立場でできることまでを専門家が解説。 https://t.co/vr6nppNKhX
— コスモポリタン 日本版/Cosmopolitan JP (@cosmopolitanjp) 2021年10月17日
ウィキペディア日本語版にも項目がある。
以下は、私がこの概念について無知であるということを踏まえた上で読んでほしい。誰か英語圏の議論状況に詳しい人に「gaslighting」の解説をお願いしたい。日本ではあまり普及していない言葉だが、近年の社会状況からみて重要な単語/概念だと思うので。
ガスライティングという「psychological manipulation」をすべて「虐待」と見なせるかどうか、私には分からない。かなり「強い」ものを定義として採用しているなら、すべて精神的暴力として見なせると思うが、そのような限定的定義にしてしまうことでもったいなさも出てくるのでは、とも思う。
定義に関してもう一つ言うなら、そのmanipulationが意図的かどうかも重要な点だろう。つまり、操作者側が自身の提示する「現実」を虚偽だと分かった上で「捏造・演出」しているのか、それとももっと根本的な「リアリティ分離」なのか。
そもそも語の出自としては心理学(DV関連の臨床心理学?)からなのだろうが、ガスライティングという現象を心理学的側面からしか捉えないのは不十分だと思う。社会学的に差別や「クレイム申し立て」などに関連してガスライティングを捉えることはできると思うが、私の知る限り、日本語の文献でそのような関連付けがなされたものは全くない。DVの現場も社会学的に捉えることができるはずなのになあ。
ガスライティング概念と重なる概念として、坂本佳鶴恵(2005)の「異化」概念や草柳千早(2004)の議論があると私は思う。
追記:
https://www.humanservices.jp/wp/wp-content/uploads/magazine/vol14/3.pdf
中村正が、「サイレンシング silencing(沈黙させること)の一つとしてのガスライテ
ィング」という形で言及している。重要な指摘。クレイム申し立ての無効化silencing。